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紅葉を訪ねて 043 ( 通号 1470) [花]

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渡月橋の歴史

四国松山からフェリーで大阪南港へ、バスで途中桂川SAでのトイレ休憩をはさんで京都嵐山の渡月橋へと着いた
渡月橋の架橋は古く平安時代にさかのぼり法輪寺への通行のために架けられたもので法輪寺橋と呼ばれていた
渡月橋という名前の由来は、現在の嵐山天龍寺のある場所に亀山庭園をもっていた亀山上皇が曇りのない夜空に月がさながら橋を渡って行くように見えた様子から くまなき月の渡るに似る』 と感嘆されたことから 『渡月橋』 と命名された・・・・・という

当時の橋は現在より 200m ほど上流に架けられていたが、度重なる洪水や応仁の乱で焼け落ちたりして現在の位置に架けられるようになったと言われている
現在の渡月橋のもととなった橋は、1606年江戸時代の京都・嵯峨野の商人、角倉了以 (すみのくら  りょうい)によって架けられたもので、昭和9年(1934年)6月に新たにコンクリート橋として完成したが一目見ただけでは木造に見える
それでも欄干だけは木造となっている・・・・そうだ

紅葉の渡月橋
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紅葉を訪ねて 042 ( 通号 1469) [花]

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尾道の街を "しまなみ海道" にむけて 

六つの島を結ぶ八つの橋

厳島神社の参詣を終えて、大阪南港までのフェリーに乗る為、四国松山に向かう
途中、尾道から今治間の "しまなみ海道" を通る  六つの島、八つの橋・・・・・楽しみにしていたのだが、時間が遅く真っ暗になってしまい、いささかガッカリ!!!
尾道から向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島を経て今治に至る、全長約60Kmk の "しまなみ海道" だ
その間、尾道大橋、新尾道大橋、因島大橋、生口橋、多々羅大橋、大三島橋、来島海峡大橋と、八つの橋を渡る

まったくの夜で、バスのフロントガラスの写りこみが邪魔ですが、写真でご覧にいれます

しまなみ海道
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手ぶれとバスの揺れで面白い
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紅葉を訪ねて 041 ( 通号 1468) [花]

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紅葉谷公園の続き

江戸時代の公園造成のころの文献に 『清き流れあり、樹木蒼古にて一区の幽境なり  楓樹多きを以って名とす』 と紹介されている
昭和20年、枕崎台風によって一帯は土石流に飲み込まれてしまったが、昭和23年から2年間8000万を投じて災害復旧工事が行われ、現在の姿になった・・・・という

紅葉谷公園の紅葉
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紅葉を訪ねて 040 ( 通号 1467) [花]

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その名のごとくモミジまたモミジ

紅葉谷公園 (もみじだにこうえん) は厳島神社の裏手、宮島の主峰、弥山 (みせん) の山麓を流れる紅葉谷川 (もみじだにかわ) に沿って広がる公園で、江戸時代に開拓されモミジの苗木が植えられたのが始まりと言われ、時期的にも丁度良く、名前のごとく、もみじ、紅葉またモミジだった

紅葉谷公園
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紅葉を訪ねて 039 ( 通号 1466) [花]

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廻廊と反橋

厳島神社の廻廊は、幅4m、長さ275m あるが、その床板には目透かしと呼ばれる隙間が有り、高潮の時の押し上げてくる海水の圧力を緩め、廻廊の中に入り込んできた海水や雨水を海に流す役目をしている・・・とか

廻廊の島側には反橋(そりはし) と呼ばれる太鼓橋のような橋が渡されている  かっては重要な祭事の際に勅使がこの橋を渡って社殿に入ったことから勅使橋(ちょくしばし) とも呼ばれている      現在の橋は弘治3年(1557年)に毛利元就、隆元父子によって再建されたものだ・・・そうだ

廻廊 
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反橋
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紅葉を訪ねて 038 ( 通号 1465) [花]

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厳島神社の大鳥居

厳島神社の象徴の第一は、海中に立つ大鳥居だろう
調べていたらこんなクイズを見つけた
厳島神社の名物、海中の大鳥居は、どんな具合に立っているのか ???
1) 柱が海底に固定されている
2) 自分の重みで立っている
3) 海中に浮いている
4) 潮の干満に合わせてはしらが伸び縮みする・・・・・・・・

正解は 2) の自分の重みで立っている です
厳島神社の沖合100メートルにある朱塗りの大鳥居は主柱の前後に稚児柱をつけ、けい6本の柱で支えられている 『両部鳥居』 という形式の鳥居で、それぞれ海底の砂地に100本の松の杭を打ち込んで造られた台座の上におかれているような形になっている・・・・・そうだ
鳥居が浮き上がったり、流されたりしないように鳥居の一番上の桁 (鳥木と呼ばれる) 部分に造られた空洞に7屯ものお経の書かれた石が詰められている・・・・・という

扁額 (鳥居の中央の神社の名前が書いてある部分) の海側には『厳島神社』 神社側には『伊都岐島神社』と有栖川宮家9代の熾仁の筆によって書かれている  更に一番上の桁、鳥木という部分の東側の端面には太陽、反対の西側には月が描かれている・・・そうだ

海中の大鳥居
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紅葉を訪ねて 037 ( 通号 1464) [花]

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信仰上の理由からの特殊な風習

『島全体が御神体であり神域である』 ということから独特の風習が生まれ、時代と共に薄れてはいるものの、現在も受け継がれているものも多くある・・・・・ということだ

島全体が神域であるということから 血や死はケガレとして忌避されていた    そのいくつかをあげると
 ● 島に死人が出ると、即座に対岸に渡して葬り、遺族は喪が明けるまで島には戻れない
 ● 島に墓地を造ってはならない・・・・・現在でも1基もない・・・そうだ
 ● 出産の近づいた女性は、対岸に渡って出産し、その後、100日を経てから島に戻る
 ● 整理期の女性は、町衆の設けた小屋 (あせ山) に隔離
このほかにも『鉄の農具を土に立てる』ことを忌み嫌い、耕作を禁じられ、祭神が女神で、その神域内での女性の仕事の象徴である機織りなども禁止された

現在の廿日市は鎌倉時代に厳島のために立った農産物などの市場(二十日の市)から発展した街だ・・・・・そうだ

御神体の象徴
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紅葉を訪ねて 036 ( 通号 1463) [花]

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古式の寝殿造り

厳島神社の社殿は、創建以来何度か手が加えられいるが造営当時の寝殿造りの姿は忠実に伝えられている
寝殿造りというのは平安時代の貴族の住宅様式で、敷地の中央に寝殿 (正殿)を建て、その東西に対屋(たいのや)を造り、それらを通路で結ぶ造りで、寝殿の正面には舞や儀式に使う庭、その先には池を配する造りだ

厳島神社の回廊は108間(275m)その先の瀬戸内海を池に見立てた壮大な発想で、遠浅の浜に作られた厳島神社の境内は、干潮時には大鳥居まで歩いて行け、潮が満ちてくると社殿や廻廊が海に浮かんでいるかのようにになる
時々刻々変化する海を、敷地として取り入れた発想は世界でも類が無い・・・・・といわれる

神社が浜に造られたのは背後の島全体を御神体と考え神聖視された結果で、神社そのものはその拝殿的意味を持っているのでは・・・・・・・

厳島神社の廻廊
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紅葉を訪ねて 035 ( 通号 1462) [花]

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厳島のマスコット

シカとサルはフェリー桟橋付近にも現れ、宮島のシンボルとしても認められている・・・という
私たちがフェリーから上陸したときも、サルはいなかったがシカはかなりな数があっちにもこっちにも・・・・・子供連れも・・・・

厳島のシカはかっては神の使い、神鹿として神聖視されていた     それが第二次大戦後、厳島を接収した米軍の兵士がハンティング対象としたために絶滅してしまった
現在宮島にいるシカは、米軍の撤退後奈良公園から移入されたものの子孫なのだ・・・そうだ

近年、宮島のシカに持っている飲食物を狙われて観光客がケガをさせられたりする対人被害が目立ってきたので、シカの餌の販売も禁止し、地元自治体が 『野生のシカに餌をやらない』という方針を掲げているものの、一部の動物愛護団体が島での餌やりを続けている
野生のシカは野生の食物で生きるべきなのでは・・・・・・履き違えた動物愛護なのでは・・・・と思う

宮島の鹿
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子供連れも・・・・
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紅葉を訪ねて 034 ( 通号 1461) [花]

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海上から見た厳島神社 

世界遺産、厳島神社へ

次の目的地は宮島の厳島神社だ   厳島神社というと平清盛の造営・・・・と連想するのだが、その創建は500年ほど遡った推古天皇の元年、佐伯鞍職の手になるものだ・・・そうだ

その後、平安後期の仁安3年(1168年)に厳島神社を崇敬していた平清盛の援助を受けた佐伯景弘が現在のように回廊で結ばれた海上社殿を造営し本殿など37棟の本宮と、対岸に19党の外宮などすべて完成するまでに数年の歳月がかかった・・・という   平家の県政の増大に伴って社運は高まり厳島神社の名は知れ渡った

その後鎌倉時代から戦国時代にかけて政情の不安定から社殿も荒廃したが、毛利元就の支配下に入り、その庇護のもとに社運は上昇、天下統一を目前にして豊臣秀吉も参詣し、安国寺恵瓊に大経堂(千畳閣)を建立させている

五重塔
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大鳥居
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宮島側の桟橋
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